私は、アルファブロガーの書かれていることは、心のフィルターが外れて読んでいる気がします。ちょっと前に『つまらない』ということに関して読んでました。
以下が読んでいた記事。

  • 「つまらない大人」になる方法 - デマこいてんじゃねえ!
  • 用意された答えを回答する…というのを9年とかやる訳か日本の学校は…。
  • 100点以上の採点とかできる人もいないのだろうな。義務教育が均質化された日本人を生み出すシステムだと考えれば減点方式は納得がいく(嫌だけど)。

まぁ、この記事を読んだ時に会社の中でおさまっている、身動きとれないでいる…という状態がそうなのかな?と思っていて、確かにそうだ!と思いました。

また、義務教育は「働ける人」を作り出す教育課程だと考えれば、均質的に能力は育てるのは当然と言えば当然で、減点方式も効率的ですよね…。みたいに思ってました。

言及エントリを読んでみて。

以下の記事も読んでました。

  • 「「つまらない大人」になる方法」を読んでもよく判らなかったけどみんな納得してるなら別にいい - あざなえるなわのごとし
  • はてブコメント・『減点方式』での教育しか受けてこなかったから、そこに共感を感じてブクマしていたが、色々な考え方があるものだ。ただ、何が「つまらない」かは一考の余地があるように感じました。

多分、この記事を読まなかったら義務教育が、冒頭のエントリで語られた『つまらない大人』を輩出する仕組みなのだ…みたいなところで考えが停止していたのかな?と思えました。

クリエイター万能論みたいな話?

そもそも「つまらない大人」に対して、クリエイターが出ていたから、クリエイター万歳みたいな話題だったのかな?と思ったり。実際、ブログを書く人と書かない人では、「生み出す」という意味では、後者の方が「つまらない」と思っている節は、私にあるように思えます。

しかし、果たして、では大人が全員「つまらなくない」状態になったらどうなるのか?多分、どこかで社会がグチャグチャになるような気がします。

ここで、デマこいてんじゃねえ!さんのエントリの一説を引用して考えてみると、以下の部分が引用です。

なぜセミナーで熱心な態度を見せないかといえば、悪目立ちしたくないからだ。質疑応答の時間に手を上げないのは、おかしな質問をして恥をかきたくないからだ。

『悪目立ち』は、ともかくとして、全員が熱心に質疑応答をした時に、それが面白いセミナーになる気もしますけど、場だけが熱くなって中身がスカスカみたいな会議やセミナーは会社員時代に経験したことがありました。

熱心じゃない状態を「つまらない」とすることも出来るのですが、熱心じゃないことで、保たれているモノもあるかも知れません。

「つまらない」とは何なのか?

多分、主観をどこに置くか?の問題のように思えます。すごーく自分本位に考えてみると、ブログを開設しているのに書かない人は「つまらない」ですし、インプットをしてもアウトプットをしない人は「つまらない」ですし、演劇に関わらない人も「つまらない」ですし…まぁ、個人的には『つまらない』ということはあるのですが…。

だけど、人の人生や生き方って、多分、全部「つまらなくない」と思うような気がします。まぁ、無意味に名誉を毀損するような行為とか「つまらない」ような限定要素もありますが…。

だけど、個人的に思っていることを全体に拡張した時、個人の感想であることを明記しない時、「つまらない」という言葉は、やんわりとした攻撃性を持つように思えます。

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終わります。

思えば、満点を想定してなくても「つまらない」は減点要素とも思える訳で、加点評価をとなえる一方で「つまらない」という言葉を使うのも矛盾しているような…。

なんか、ゆとり教育みたいですが…「熱心じゃなくてもセミナーに参加している」という状態で加点とも考えることも出来そうですが…。

なんかシックリこないのは『減点方式』で教育を受けてきたからでしょうか。